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早稲田大学モダンジャズ研究会 創立50周年記念イベント報告

最終更新: 2018年9月16日

2011年 (平成23年) 10月30日 (日)、ダンモ研の創立50周年を記念するコンサートと祝賀会を恵比寿ガーデンプレイス内で行いました。この50周年行事の企画にあたっては、ほぼ2年と言う時間を費やして木嶋会長率いるOB会役員が協議を重ねて来ました。

日程は1年以上前に設定して会場を抑え、トップ・プロのOBの方々のスケジュールを抑えて頂いており、2011年3月初にはタモリさん始め全世代のマネージャーに集合頂き半年先のイベントに向けて実行委員会を組織し、気を挙げました。…が、直後に3.11東北関東大震災が起こり、予定会場の九段会館の天井は崩落して犠牲者が出る事態となり、それまでの企画原案を会場設定から全て見直し、という事態となりました。その後、各方面で活躍されているOB各位の尽力によって、予定していた日に無事50周年記念行事を開催、ご好評のうちに完了することが出来ました。

本紙面を借りて、再々の深い感謝の気持ちを関係者の皆様、ご来場の皆様、本HPをご覧の皆様に申し上げます。誠に有難うございました。

以下、当日の印象を含めて、8名がご報告いたします。

1960年代: 加藤正孝さん (tp)

📷先ず、今回の50周年コンサートに当たった担当各位の労に心から謝意を表したく思います。 率直に言って大成功だったと思います。開演前に劇場横に並んだ長蛇の観客の列は、あたかも超有名人のコンサートの時の様であり、お迎えバンドの現役達のハイレベルな演奏には皆が舌を巻いていました。

幕開けの我々創生期グループは、私が日本に居ない為にベースの佐々木良廣君が苦労して作り送ってくれたカラオケで各々が練習し、コンサート前日に短時間の音合わせをしたものだったので、流石に皆がナーヴァスになっていましたが、本番では大きなミスも無く終わる事が出来、幸田稔君のユーモア溢れる軽妙な司会で次々にプロアマ諸君達が素晴らしい演奏を繰り広げ、📷森田一義君 (タモリ) の抱腹絶倒のジャズ教室、ゲストの日野皓正さんや、ダンモ研プロ代表のチン(鈴木良雄君)や増尾好秋君の卓越した演奏で、3時間半に及ぶコンサートは観客を終始引き付けていました。

私のブラジル時代からの友人で、やはり50年の歴史を持つ明治大学のメランコリー・キャッツの創設者が「流石に早稲田。スケールの大きさ、輩出した有名プロの数を取っても、やはり日本の大学のジャズ研のナンバーワンである」と評してくれました。

📷個人的には、我が会からのプロ第一号で同期の桝山了君と久しぶりに一緒にプレイ出来た事は嬉しかったです。ただ残念だったのは、部の創設公認時に最も骨を折った小川晃一郎君 (as) が病の為に出席出来なかった事です。尚、ダンモ研公認以前に同好会として、この会の源を作ってくれた河辺和年先輩、鳥海務先輩、中村繁男先輩に敬意を表したいと思います。

📷本場米国では、年々ジャズの人気が下降線を辿っていますが、日本では我がダンモ研が中心になって、ジャズの発展が為される事を期待しています。

加藤正孝 (卒年1962年・tp)


ダンモ研50周年記念イベント顛末記

1970年代: 宇都宮荘太郎さん (ds)

早稲田大学モダンジャズ研究会創立50周年記念コンサートは、2011年10月30日 (日) に恵比寿ザ・ガーデン・ホールで開催され、多くのOBの方々、その他ご協力いただいた多くの方々のご尽力により大成功を収めることが出来ました。

また、50周年記念イベントとして、前夜祭を新宿のジャズ・スポット "J" で、さらにOB会総会を兼ねた50周年祝賀会を "ビヤ・ステーション恵比寿" で開催し、いずれも多くの方の参加により成功裡に完了することが出来ました。これらの記念イベントの成功の陰には、それぞれの担当セクションで、さまざまなご苦労があったことと思いますが、ここでは、私の把握している裏話のいくつかを書かせていただきます。

ダンモ研OB会役員会では、2006年9月に全日空ホテルで行なった創立45周年記念総会の直後から、50周年記念企画に向けて検討を始め、さまざまな企画が俎上に上がり、検討されたものの、なかなか決定には至りませんでした。

企画案としては、コンサート開催はもちろんのこと、ダンモOBによる演奏CD制作案、50年間全OB参加の大合宿案(キームなし)とか、豪華客船借り切り大パーティ案や早稲田から三ノ輪まで都電借り切り車中ジャムセッション案などというものまで飛び出す始末でした。


2010年春になってようやく大きなホールでOBによるコンサートを開催すると言う、ごく真っ当な企画に落ち着き、コンサート開催の日程は、森田一義さん(タモリさん)のスケジュールや増尾好秋さんの日本滞在期間などを考え合わせて、2011年10月30日と決定、会場探しなどの具体的作業を開始しました。会場を探すにあたっては、キャパが1,000名規模であることと、コンサート終了後の祝賀会のために、演奏が可能で200名ほどが入れる2次会会場がホールのごく近くにあることが第一の条件でした。

そして、紆余曲折の結果、探し出した会場が九段会館大ホールでした。九段会館大ホールは、キャパが約1,100名、コンサート後の祝賀会の会場が同じ建物内に確保出来ること、ダンモゆかりの千代田公会堂至近であること、歴史ある重厚な建物であること、そして何より使用料がリーズナブルであること…など理想的な条件の会場と思われました。

会場の決定は、2011年3月10日に歴代マネージャーが30名以上参加して開催された「歴代マネージャー会議」(この会議には、お忙しい中、タモリさんもマネージャーの一人として参加してくださいました)の席上で発表したところ、出席の各代のマネージャー一同からは、理想的な会場が押さえられたと快哉の声が上がり、50周年記念コンサート開催の機運は一気に盛り上がりました。


ところがご存知のとおり、この会議のわずか十数時間後の翌3月11日に起こった東日本大震災によって九段会館大ホールは天井が崩落、死者まで出る惨事となって会館は閉鎖、企画は振り出しにもどってしまいました。

しかし、コンサートを10月30日に絶対開催するという方針を再確認した我々は、新たな会場探しをはじめました。とは言えコンサート会場となるようなホールは、1年前の予約が基本であるため、使い勝手のよい会場が半年前のこの時期にそう簡単に見つかる訳がありません。それでも、スタッフ一同が、ありとあらゆる伝を頼って探しまくっていたところ、恵比寿ザ・ガーデンホールに奇跡的にキャンセルが出て、何とか会場を確保することが出来たという次第です。

ところが、このガーデンホールの使用料は九段会館のおよそ倍である上、キャパも720名とかなり少なくなります。コンサートなどの仕事を通じて会場と関係の深かった幸田稔さんのお力で、かなりディスカウントしていただくことが出来たのですが、それでも 当初3,000円に設定していたチケット代金を4,000円に値上げせざるを得ませんでした。


会場は決定しましたが、次に直面したのは、どなたに出演していただくかと言う難題でした。ダンモOBには、プロだけでも50名あまり、アマチュアやセミプロを交えれば、出演候補のミュージシャンは100名以上にも上ります。ステージの時間にも限りがあるため、幹事一同は、年代やOB会への参加度などさまざまな要因を考え合わせて、慎重に検討を重ねましたが、すべての候補者に出ていただく訳にも行かず、さまざまな観点を考慮に入れた上で、出演者を決めさせていただきました。ご出演の叶わなかった方には、何卒ご容赦くださるようお願い申し上げます。

その後は、各OBミュージシャンへの出演依頼の連絡、チケットの作成と販売、寄附金募集、舞台進行の決定、音響、照明、楽器の手配、プログラム誌の作成、前夜祭、祝賀会…など多岐にわたる条件を一つ一つ乗り越えて50周年記念イベントの内容を煮詰めて行きました。

コンサートのパンフレットは、ダンモ研50年の歩みをまとめて50周年記念誌とすることを決定、68年卒の鑑賞部前田又彦さんが編集長となって、各代のマネージャーの中などから数名の編集委員を決めて、素材集めを始めました。1967年卒の小宮山昭さんが「Danmo 50」のロゴのデザインと記念誌の表紙にご自身のすばらしい作品を提供してくださいました。


当初は、素材は大して集まらないだろうとの予測だったため、とにかく大勢のOBの方々に資料、写真、エッセイなどの提供をお願いしました。ところが、締め切り日が近づくころになると、なんと予想の何倍もの資料、エッセイが続々と寄せられ、当初予定していた冊子のページ数は倍以上に増やさざるを得なくなり、もちろん、それに伴ってパンフレット作成費用も大幅に増大しました。しかし、おかげさまで出来上がった冊子は、ダンモ50年の集大成として恥ずかしくない、内容の濃い貴重な記録誌となりました。もちろん校正などの編集作業はとても大変な作業だったのですが、寄せられた資料はどれもとても面白く、興味深く、楽しみながら作業を続けることが出来ました。

原稿は、当時の雰囲気を生き生きと伝えるものばかりで、「てにをは」や、わかりにくい所など、若干の校正をさせていただきましたが、明らかな誤字、誤認や、さすがにこの部分はまずいだろうと思われる部分以外はなるべく原文を忠実に掲載させていただきました。編集に当たっては、締め切りを過ぎても、後から後から、次々とさまざまな原稿、資料、写真が到着し、その度に編集レイアウトを担当してくださったスプリング・デザインスタジオの大坪輝世さんには、追加や差替え、レイアウト変更などを30回以上もお願いしたのではないでしょうか。それでも、大坪輝世さんは我々素人編集者からの勝手な希望を的確に受け止めて、プロの編集者の力を遺憾なく発揮してくださったことには本当に感謝しています。


ほぼグループ編成も固まり、コンサート内容のツメを行なっていた9月、出演予定のプロベーシスト是安則克さん (1978年卒) の訃報が突然飛び込んできました。久しぶりに会えることを楽しみにしていた我々は大変なショックを受けました。

📷📷このコンサートで一緒に演奏することになっていた清水くるみさんと、デビューアルバムに参加してもらった丸山繁雄さんが、コンサートの中で追悼の演奏を行ない、一同、是安則克さんの冥福をお祈りいたしました。

このコンサートの実現に際して、タモリさんのご参加が大変な推進力となりました。新宿の喫茶ルノワールの貸会議室で度々開いた「歴代マネージャー会議」に何回もご出席いただき、さらに担当者を全員集めてタモリさんご自身の主催で2回開催してくださった「キックオフパーティ」は、「結団式」そして「決起集会」として、スタッフの士気をいやが上にも盛り上げました。📷さらにステージでは長年の封印を解いて「中洲産業大学タモリ教授の講義」というダンモのコンサートでなければ絶対に見られないプログラムで参加してくださるなど、この50周年記念企画の実現にはタモリさんの全面的なバックアップがスタッフの結束力を強め、記念イベント完遂への強力な推進エンジンとなりました。ここであらためて御礼を申し上げさせていただきます。


コンサート当日は、開演の1時間以上前から会場前に長蛇の列が出来ていましたが、このコンサートに期待する方が如何に多かったかの証左だと思います。

📷開場後は、1階の受付もスムーズに行なわれ、会場フロアの3階でエレベーターを降りた観客をまず出迎えるのは、ロビーで行なわれているダンモ研現役部員の演奏という演出でした。訪れた観客は、そこから一挙にジャズの世界に引き込まれ、そのロビーで現役のウェルカムミュージックと美味しいサッポロ生ビールを楽しみながらコンサートの開演を待つと言う趣向は、いやが上にも期待感を煽られた、と大変好評でした。

コンサートには様々な反響の声が聴かれました。

「構成も進行も、もちろん演奏も本当に素晴らしくて、プログラム自体は4時間以上もあったのに全くその長さを感じないほど引き込まれてしまった」とか、「プロもアマも年齢も関係なく演奏を楽しんでいる姿には本当に感動した」とか、「封印されていたタモリ教授の授業を生で聞けるとは思わなかった」、さらに「パンフレットも内容が濃く素晴らしかった」…などと賞賛の声ばかりが寄せられ、コンサート翌日には、わざわざ「新宿 J」まで幸田さんを訪ねていらして、「本当に素晴らしいコンサートでした。ありがとうございました」とお礼を言ってくださった方まであったとのことです。


特にある業界関係者からは、「それぞれの演奏が素晴らしかったのはもちろんだが、コンサートの構成が、創成期グループの演奏に始まり、プロ、アマの力強い演奏に続いて、踊りだしたくなるほどスウィンギーな丸山繁雄さんの華やかなヴォーカルで心が熱くなり、清水くるみさんのしっとりした演奏があるかと思えば、タモリ教授のここでしか聴くことのできない講座で心の底から笑い、そしてゲストの日野皓正さんを交えたチンさん (鈴木良雄さん) ・増尾好秋さんグループの演奏が掉尾を飾ると言うこれ以上考えられないほどの完璧な構成で、これは早稲田ダンモ研でなければ絶対出来ない今年一番のコンサートだった」と手放しで絶賛されたため、こちらが恐縮してしまうほどでした。


コンサート終了後には、「50周年記念祝賀会」と銘打ったOB会の拡大総会を同じ恵比寿ガーデンプレイス内の「ビヤステーション」で行ないましたが、これにも200名以上の方が参加、会場のあちらこちらで何十年ぶりに旧交を温める場面が繰り広げられ、ジャムセッションも年代を超えたさまざまな組み合わせで行なわれて大いに盛り上がりました。

📷この祝賀会では、担当者が通常の受付では混乱するであろうことを予測して、事前に出席者を確認、先に会費を振り込んでもらうシステムを採用したため、当日の混乱は回避され、これほど多くの参加者のあった祝賀会をスムーズに開催することが出来たことは特筆に値します。

チンさん(鈴木良雄さん)からは、打合せの際に、前夜祭もやろう、後夜祭もやろうと煽られ続けました。後夜祭はさすがに開催できませんでしたが、槙島和宏幹事長の仕切りで 「新宿Jazz Spot J」をお借りして現役の演奏を中心とした前夜祭セッションが行なわれ、これもまた大変な盛り上がりで、OBと現役の絆は一層深まったものと思われます。

📷さまざまな裏事情を順不同に長々と書いてしまいましたが、私達は、この50周年記念の企画を通して、ダンモ研OB(もちろん現役も)の持つ底力の威力を目の当たりにしました。この他にも各担当セクションでも表には出てこないさまざまな努力や苦労があったことと思いますが、前夜祭、コンサート、祝賀会、記念誌作成など、どの部門も、関わってくださったすべての方々の力の結集によって成功を収めることが出来たのだと思います。そして、この企画を通してダンモ研関係者の結束が、より強固なものになったことは明らかです。

これまで連綿と引き継がれてきた輝かしい歴史を持つダンモ研OB会の運営は、渡辺康蔵会長の新役員会へと引き継がれましたが、これからもダンモ研OB会とダンモ研を、一層大きく成長させて行ってくださることを祈念しています。

宇都宮荘太郎 (卒年1977年・ds・mgr・OB会前副会長)


人と人との繋がり

1980年代: 津川洋一さん(tb)

📷百年に一度の大不況、千年に一度の大震災を経験した我々は、かつてない大イベント【danmo50】を成功裏に導く事が出来ました。 個人的には福井県在住のジャーマネの代行としてスタッフに加えて頂いた上、ステージにも載せて頂き大変感謝(→ダンモ入部に至るまでと、在学中、又卒業してから… これまでの人生に係わった全ての方々へ感謝)しております。

📷当日はイーボ (ボーヤ) や祝賀会担当をしていた故、着席しての鑑賞は出来ませんでしたが、中洲産業大学タモリ教授の講演を今この時代【生】で聴けたのはまさに奇跡! ゲスト日野皓正さんの【I’ve Never Been in Love Before】には涙が出るほど感動しました。楽屋裏で本人にお伝えした所、『俺は親からも【カンドウ】されてるからね!』とのコメント (笑)。もちろん他の出演者、司会も大変評判良かったです!

📷祝賀会では森田一義先輩 (タモリ先輩) の乾杯に続き、役員交代セレモニー後、現役から古参のプロ・アマOBを交えた大セッション大会、かつては雲の上の存在だった偉大な先輩達とのセッションは其々が貴重な体験だったと思います。現役も上手かったですね!

📷同期とは追出コンパの際に授与される【追放状】を貰って以来、約四半世紀ぶりの再会。上下の関係が薄くなりがちなコンボ系サークルのダンモ研にあって、直近の先輩や後輩とも再会が叶った事は快挙でしょう!

自分がダンモに所属していた事を誇りに思えた一日でした。今後も人と人との繋がりを大事にし、ダンモ研発展の為に身を捧げたいと考えています。

師岡ボン太こと、津川洋一 (卒年1988年・tb) = キーム推進派


「一生部員の消息の面倒見るのかよ」とふて腐れた頃もあったが…

1990年代: 浅川宏樹さん (ts)

13:50 恵比寿駅に到着。改札前で待ち合わせをする一つ上の先輩方の懐かしい顔、既に長蛇の列をなしているお客様を横目に会場入り。 私は当日の係は特に承っていなかったので、入場された当会OBの方の受付への誘導役を買って出ると同時に、入場受付係の現役学生さんに自前のフライヤーの配布もお願い。ご案内した中には「あ、更にお金取られちゃうの、じゃあいいや」と、パンフレットを有料と勘違いされて素通りされた方もいらしたことをご報告しておきます (笑)。

📷15:00 そろそろ失礼して客席へ。とりあえず空きのあった最後列へ。イントロマスターの茂串邦明さんが入ってくる。50周年記念パンフの記事に「イントロでは客扱いされないので行かなくなった」と書いてしまった(笑)。まだ目は通していないだろうし、よもや今 目の前で会釈している私が書いたことは茂串邦明さんは知る由もないではあろうが、何とはなしに居心地悪いなぁ…(笑)。

中座して2階ロビーへ。子供連れでやってきたひとつ下の世代の奴が、入れ替わり立ち替わり子供を遊ばせにテラスへやってくる。親バカぶりは時々やり取りするメールの子供自慢でも伺えるが、嗚呼、ご自慢通りの可愛い子供達…。

舞台上手の扉から再突入。ちょうど目の前に同期が陣取っており、確保してもらっていた席へ落ち着いた。振り返ると本当に満席。 前夜に浅井利浩さんがFacebookに残した「当時上手かったとか下手だったなんて関係ない。人生の一時ジャズと関わった人間達が二百人も集まるんだな。それだけで胸が熱くなる」というコメントが思い出され、こちらも同様、胸が熱くなる。休憩時に津川洋一さん (tb) とすれ違い、祝賀会での乾杯直後の演奏、トップバッターを伝えられる。ジャズ演奏から離れて十有余年。すでにブラジル音楽のみを演奏している時間の方がジャズを追求していた年数よりも長くなっている。さあ、何ができるのだろうか。


19:00前、終演。祝賀会に出席せずに帰る仲間とはここでお別れ。また集まろう。記念写真を撮って別れる。連れ立って会場のビヤホールへ。既に五月雨式に宴は始まっており、現役バンドが Hank Mobleyの「This I Dig of You」を演奏している。それにしても上手なこと。手短な総会を経てタモリさんの音頭で乾杯。こちらは出番である。フロントは津川洋一さんと私、ベースは同期 飯田雅春、ドラムは急遽 中原康仁さんにお願い。結果、割合見知ったメンバー。初っ端だからリフものの方がよいのではないか、という津川洋一さんの提案はあり、もっともと思うのだが… 哀しいかな急には思い浮かばないもので、「Stella by Starlight」とさせていただいて、大汗かいてようよう演奏。

ここからようやくこちらも宴モードへ。われわれ1993年および下の1994年卒は、それなりの人数の参加があったものの、一つ上の代は他所で打ち上げ、二つ上の代は昨日集まってしまったそうでいらっしゃらず、私たちにとってはやや寂しい。1995年卒以降の世代にはやはり来てもらえなかった。

📷それでも1994年世代の面々に、改めて笹本龍馬さん (1990年卒MGR) を紹介すると、みな口々に「合宿で当時の現役ジャーマネ (私) をキームした」恐るべき先輩としての記憶を当人に言い立てる。いまだに強烈に焼き付いているようであったが、20年の歳月はそれをも想い出話のタネとする。素晴らしいものだと思った。我々隣接した世代だけでも北は小樽、西は大阪からの参加。お開きとなった後も、さすがに去りがたく10人ほどで連れ立ってもう一杯。

その昔、卒業した当初は「一生部員の消息の面倒見るのかよ」とふて腐れた頃もあったが、仲間の海外赴任、結婚などの折には連絡を取り合ってきた。今回年頭からの名簿更新作業はEメール時代に入る直前のものがベース。今後は一斉メールとなっていくでしょうが、震災をはさみながらも電話での肉声で皆の近況を聞くのも楽しく行わせていただいた。皆様、ありがとうございました。

浅川宏樹 (卒年1993年・ts)


ダンモ50周年記念パーティーを終えて

現役より: 西辻亜以子さん (as)

📷まず第一に、10月30日のパーティー、29日の前夜祭セッション、そしてそこに至るまでの準備期間の間、ダンモOB会の皆々様、本当にお疲れ様でした。現役側からの今回のイベントを振り返ると、準備を含めてこのイベントに携わる事ができ、本当に楽しかったです。29日の前夜祭セッション、現役レギュラー・バンドのライブは、私自身もとても楽しませて頂きました。 また外部からの学生も参加頂き、いつも部室でやるセッションとは違った雰囲気で、前夜祭として盛り上げる事が出来たかな、と思っております。翌日はイベント本番で朝早かったのに、皆様遅くまで有難うございました。

📷30日は1日がめまぐるしくあっという間にすぎて行きました (笑)。エントランスでの現役の演奏や記念ポロシャツの販売、受付業務、ビデオ撮影補佐、ビールの販売等々、ご迷惑おかけしたかと思いますが、現役部員皆其々頑張っていたと思います。 各担当のOBの方々、本当にありがとうございます。 仕事の合間にステージを拝見しましたが、とても楽しかったです!

実は私自身、6月に急にマネージャーになって、初めての仕事がこの50周年イベントだったので、私に出来るだろうかと、とても不安ではありました (笑)。けれども、槙島和宏OB会幹事長さんを始め沢山のOB・OGの方々、現役の幹事長である田村亘さんにも色々とサポートをして頂きました。本当にありがとうございます。 特にOB会の槙島和宏さんとは沢山ご連絡を取らせて頂きました。 槙島和宏さんの仕事の速さ・的確さに、本当に助けられました。本当にありがとうございます。

問題は多々あり ご迷惑をおかけしましたが、このイベントに現役マネージャーとして携わる事ができ、本当に嬉しく思います。 ダンモの現役部員もこんな経験、今までしたことがない筈なのに、私達幹部があたふたしている中、皆テキパキと動いてくれて本当に感謝しております。

また、50周年パーティーに来てくださったお客様が、イベント直後の早稲田祭のダンモ研のライブに来てくださるなど、現役のダンモ部員にも関心を抱いて下さった方々が沢山いらっしゃったようでとても嬉しいです。 ダンモ「50年目のC年」諸氏も、「とてもヤル気が湧いた」と言っており、嬉しい限りであります!

📷こんな素晴らしい機会に貢献できて本当にうれしく思います。 まだ未熟ですが、現役幹部を中心にダンモの活性化に尽力致しますので、これからもよろしくお願い致します。 皆様、本当にありがとうございました。そして本当におつかれさまでした。

西辻亜以子 (D年・as・mgr)

ダンモ50の総括

前幹事会より: 小西 勝さん (ds)

反省点としてあげねばならないのは先ず名簿の件である。今年のイベントはコンサート、祝賀会、OB会総会と多岐にわたっていたため、この部分が手薄になっていたことは否めない。草間壽子さんに頼っていた部分が多く甘えもあったように思う。同期として自分から手伝うべきだったと反省している次第である。総会を目の前にして、役員人事、規約改訂とぎりぎりの打合せと作業になり、かなり気を揉んでしまったが、これも今年はあまりにも多くの仕事量をこなしてのことなので、止むを得ないことだろう。むしろ結果的に何とかうまく行ったことが「すごい」と言える。

二つ目の反省点は、総会の通知である。総会はしかるべき方法で確実に通知をすることが求められるのだが、今年は8月5日のメールとホームページへのアップ、そして各代のマネージャーによる横の連絡に頼ってしまった。その結果、メール便で一斉送付した寄付の連絡しかもらっていないと主張するOBも現れた。大先輩に対しては、9月中旬にコンサートの件と祝賀会(総会)の件、振込依頼の件を併せてメール便で送付したが、総会通知は本来全員に郵送で行うべきものなのである。少なくともeメールを完璧に送付することは、絶対的に求められる筈である。そうでないと、硬いことを言えば総会自体が無効であるというクレームも受けかねないという危険を心に留めておくべきなのだ。

とても良かったことは、タモリが大変に積極的だったこと。これが起爆剤となってジャーマネ会議の盛り上がり、そして最終的なダンモ50の大成功へ繋がったと言える。また、それが次の代の役員諸氏、実行委員会の若い現場の面々のパワーにつながって行ったことが大きい。最終局面でのチケット管理、入金管理、全般的会計管理等、完璧な仕事ぶりで感動的にすら思えた。このような新しい力の台頭は今後のダンモOB会にとって極めて大きな財産となるであろう。

小西 勝 (卒年1969年・ds・幹事長)


50年史編纂の反省と今後の要望

記念誌担当より: 前田又彦さん (鑑賞部)

50年史編纂に携わることが出来たのはとても幸運なことでした。この編纂事業を通じて、今までお付き合いになかった先輩や、後輩諸君と交流ができました。一番感慨深いことは、ダンモ研が50年も続いて今日存在することでした。

1960年代、ジャズがまだ一般的ではない時代でした。我々の世代は、アートシーンの前衛を追い求めて、ジャズを論じ合っていた青春時代でした。1966年、ジョン・コルトレーンの来日の際は、東京でのコンサートは全部聞きにいきました。

数年前、赤のれんの焼き鳥屋でBGMにコルトレーンの「至上の愛」が流れてきたときは感動しました。コルトレーンは「俺たちのものだ」と思っていたら、いつの間にか、誰もが聞き流すほど一般的な音楽となりました。50年間で音楽のジャンルはより多彩になり、バークリー・メソッドを習得すれば、ジャズやポピュラーを容易に演奏できるようになりました。そのおかげで、1980年代になるとダンモ研の部員は100名を超す大所帯になり、定期リサイタルでは昼の1時から夜8時ごろまで延々とバンドが繰り出される。すごい時代もあったのです。

50年も経てば当初の思いは変質し、主導権争いで分裂、部の消滅、などという事態がザラにある中で、良くこのクラブをつないできたものと感心します。

  1. 50年史編纂では、各年代が均等に紹介できなかったのは心残りがあります。やはり熱意のある年代が情報量も多く、そこにページが集中してしまいました。それと情報収集のタイミングのズレで、後からきた情報は組み込みにくいこともあり充分に反映できなかって点はあります。

  2. 情報提供者も何十年か前のことをまとめる際に、記憶違い、事実誤認が生じている恐れがありますが、編集者としては、そのまま掲載しておりますので、ご容赦願います。

  3. 1990年代と2000年代の20年間は充分な情報提供がなかったため、充実したページにはなりませんでした。 今後はデーターベースの標準を決めて、アーカイブを積み重ねて行って欲しいと思います。それには、現役がその年のできごとを大学に報告するのと同時にOB会にも報告する。またOB会も年次報告の形でできごとをまとめて報告書にする。このようにしておけば、次代の方も歴史編さんに苦労することがないと思います。

  4. それから、我々の時代には会誌、機関誌というのがありました。今、読んでみても感動する内容の読み物があります。クラブ内では色々な人材がいるでしょうから、そういう人達が発信することをまとめてみるのもいいのではないでしょうか。

以上が気がついたことです。

前田又彦 (卒年1968年・鑑賞部)

ダンモ50実行委員会より

幹事長より: 槙島和宏さん (ts)

現役時代に何も役職に携わっていなかった小職が、全日空ホテルで行われた45周年記念の行事の後に「50周年要員」として大抜擢されましたのは、恐らくは「キーム大魔王」を拝命していたからではないかと察します (笑)。50周年に当たっては、旧幹事会の皆さん中心に約2年の準備期間を費やして充分過ぎる程の議論をし、いざ企画を最終化して3月10日の全体会議にて『九段会館』とご報告したところ、翌日小職がその会議の議事録をメールで発信した20分後に何と大地震が勃発し、九段会館の屋根が崩落して犠牲者が出る事態となりました。10月30日当日、イベントに参加頂きました皆様に目撃頂いた「表」の現象もさることながら、大震災から当日に至るまでの “てんやわんや” こそが ダンモ研OB会の歴史に残る活動であった、と思っています。

仕事や家庭を犠牲にして本企画の為に沢山の時間と知恵と汗を使って頂いた前幹事会及び実行委員会の皆様、また不明者捜索含めて各世代の連絡を担って頂いたMgr会議メンバーの皆様、超ご多忙のところMgr会議の度に足を運び、幾度も会議全体のスポンサーになって下さった森田一義先輩 (タモリ先輩)、前夜祭及びイベント当日に八面六臂の大活躍をしてくれた 30名以上の現役諸氏、イベントの為にチケットを売りまくってくれた人々、遠方から駆けつけて早朝のリハ含めて演奏してくれた人々、盛り上げて頂いた稲門会関係者や日野皓正さん初めとする学外関係者、会場の融通・優待からビールの販売までお骨折りいただいたサッポロビールの関係者方々、ステージ・進行他裏方役を徹底して完璧な仕事をされたSOL社の皆様や、企画から全体の進行の要になって下さったナレオOBの櫻井隆章さん、ダンモ50年史やイベント準備を含めて 全てを記録してくれたパンフ編集関係者各位、当日の公演の様子をビデオカメラ 4台を駆使して記録してくれた鳥海務先輩、本件を取り上げて頂いたJazz Japanを初めとする業界紙の関係者の皆様、更に又イベントを盛り上げて下さったすべての皆様に心から感謝申し上げます。 本当に有難うございました。 今後とも「次の半世紀」の為に、継続して皆様のお力添えを頂けますれば益々幸甚です。 何卒今後とも宜しくお願いします。

📷

ダンモ創立50周年記念イベントへのご協力、 ご参加に心から御礼申し上げます ダンモ50実行委員会一同 (撮影2011年11月30日)

槙島和宏 (卒年1982年/ts、第4代OB会・幹事長)




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